※インタビューの全文を紹介しております。「社会文化環境学について」は動画では割愛しておりますが、文字起こしを行い、掲載いたしました。
 
社会文化環境学について
中井:今日は東京大学柏キャンパスの清家先生をお訪ねしました。清家先生は、東京大学大学院新領域創成科学研究科社会文化環境学の専攻でいらっしゃいます。まず、この社会文化環境学とはどのような分野なのでしょう。ご説明いただけますか。

清家:環境学というのは東京大学が立ち上げたのですけど、ただの狭い意味での環境ではなく、広い意味での環境を研究することにしようということで立ち上げました。そのような中で、みなさんが想像する自然環境とは一番重要なところなのですが、自然環境だけでなく、人工環境という専攻があるのですが我々のつくる環境というのを対象としていまして、そのなかで社会文化環境というのは、建築・土木・都市工それから社会学の出身の先生方が、空間的広がりをもった社会を形成する環境というのを対象にしようということで集まってきました。
 
欧州と日本のガラスリサイクル
中井:私と一番はじめに会った時、先生は建築のご専門で、その後いろいろお手伝いを頂いているわけですが、ちょうど建築と環境は、特に私が属している板ガラス協会の一番これからターゲットにすべき分野です。これからもいろいろとお世話になろうと思っていますが、今日は、昨年5月に行ったヨーロッパにおける環境リサイクルの先進事例を視察に行ったわけですけど、その延長線上で今日はいろいろと話を発展させていきたいと思っております。今日のトピックとしては、3つぐらいお伺いしたいと思っています。まず一番目はガラスのリサイクルを中心に欧州へ視察へ行きましたが、その中でヨーロッパと日本の相違点として2つの切り口があるかと思うのですが、一つはリサイクルに関わる技術的な相違点、もう一つは市場から廃ガラスを回収するための仕組み、仕組み上の相違点として、先生の印象に残った点はどういう点だったでしょうか。
○技術的な違い
清家:報告書等でも書かせて頂き、講演会などでも何度か述べさせて頂きましたが、基本的に技術的の差はなく、中国に行っても、まじめにやればですが技術の差はないのではないかと思います。その大きな要因は、やはりこういった基本的な機械系の技術は世界共通であるというところで、投資をすればあるレベルまでのリサイクルの技術が得られるという点では、先進国である日本と欧州の差はあまり見受けられなかったというのが、ひとつ技術面での感想です。もうひとつは、仕組みの面なのですが、仕組みというのは、もともとの社会がもっている契約関係の仕組みがどうなっているか、その仕組みに社会的に合意された仕組みだと思うのですが、それがリサイクルに向いているかどうか、というのが1点あるのではないかと思いますね。ヨーロッパに行くと、非常に仕組みが上手くまわっている点に驚かされるのですが、その中で気をつけなければいけないことは一点ありまして、彼らは非常に一生懸命リサイクルの仕組みを構築しているけれども、何でもかんでも義務だと、やらなければいけないという風に背負い込んではいけないということです。むしろ、こういうリサイクルの仕組みをつくれば、それができるだけ市場性に民間の資金がまわるようなところに対して、公的な補助である程度入ってくる、あくまでも民間の商業ベースでやれる範囲やろうで、とういう割り切りがある。それを彼らが喋る時には、すごく一生懸命やっているんだということだけおっしゃられて、その奥底の割り切りに気づかずに、私達みんなは帰ってくるのですが、実はやれる範囲でしっかりやっているのだけであって、やれないところは仕方がないという諦めもある、と思いますね。日本でやろうということを皆さんで検討したり、あるいは自分なども関わって議論をする際に、なぜか99%ぐらい達成しなくてはいけないのではないかと思い込んで、みんながそのレベルに達成するためにはどうしたら良いのかと思い込んでいるように思えるんですね。そうすると、いきなり遠く高いハードルが見えてきて、みんな途方に暮れて一歩も前に進めないとか、有効な第一歩が打ちにくい議論になると思うのですね。ですから、仕組みとして単純な感想としてはヨーロッパの方が進んでいる。ただ、それはある種の割り切りと合理性の中で上手くまわっているということであって、日本人の見習うべきは、そのリサイクルの仕組みというよりも、割り切りとかを学ぶ方がいいのではないか、というふうにヨーロッパのリサイクル事情をみるたびに思っております。

中井:私も技術的には、特に大きな相違はないと感じました。あと、おっしゃったように、最初からパーフェクトではなく、やれるところからやろう、と。確かに幾つかの点で制度なんか順次かえていっているような感じがありますよね。

清家:やはり、リサイクルをはじめたのが、明らかにヨーロッパの方が5〜10年進んでいる分野が多いですから、もうすでにいろいろ上手くいったところといかなかったことが判り始めている。それに対してある程度組織を変えたり制度を変えたりということを、もう既にやり始めている。つまり、もうヨーロッパのリサイクルというのは、我々よりちょっと先に行っているものですから、その次の段階に我々がヨーロッパの事例の中で、何を見るべきかと言いますと、日本でもいろいろと同じようなトラブルが起きていて、それをこう修正するといいんじゃないか、と彼らを観察した方が、日本のためになるのではないでしょうか。何も先人が失敗した例を同じようにやるのではなくて、我々が同じようにやっても失敗するかもしれないし、しないかもしれないですが、やはり相手が苦労しているところを正確に把握して、日本なりにスタートしたら、一体どういうことが難しく、どういうことが簡単にできるかということを先にやってる国から学んでおこうというスタンスが大事ですね。
○制度的な違い
清家:もうひとつは、仕組みの面なのですが、仕組みというのは、もともとの社会がもっている契約関係の仕組みがどうなっているか、その仕組みに社会的に合意された仕組みだと思うのですが、それがリサイクルに向いているかどうか、というのが1点あるのではないかと思いますね。ヨーロッパに行くと、非常に仕組みが上手くまわっている点に驚かされるのですが、その中で気をつけなければいけないことは一点ありまして、彼らは非常に一生懸命リサイクルの仕組みを構築しているけれども、何でもかんでも義務だと、やらなければいけないという風に背負い込んではいけないということです。むしろ、こういうリサイクルの仕組みをつくれば、それができるだけ市場性に民間の資金がまわるようなところに対して、公的な補助である程度入ってくる、あくまでも民間の商業ベースでやれる範囲やろうで、とういう割り切りがある。それを彼らが喋る時には、すごく一生懸命やっているんだということだけおっしゃられて、その奥底の割り切りに気づかずに、私達みんなは帰ってくるのですが、実はやれる範囲でしっかりやっているのだけであって、やれないところは仕方がないという諦めもある、と思いますね。日本でやろうということを皆さんで検討したり、あるいは自分なども関わって議論をする際に、なぜか99%ぐらい達成しなくてはいけないのではないかと思い込んで、みんながそのレベルに達成するためにはどうしたら良いのかと思い込んでいるように思えるんですね。そうすると、いきなり遠く高いハードルが見えてきて、みんな途方に暮れて一歩も前に進めないとか、有効な第一歩が打ちにくい議論になると思うのですね。ですから、仕組みとして単純な感想としてはヨーロッパの方が進んでいる。ただ、それはある種の割り切りと合理性の中で上手くまわっているということであって、日本人の見習うべきは、そのリサイクルの仕組みというよりも、割り切りとかを学ぶ方がいいのではないか、というふうにヨーロッパのリサイクル事情をみるたびに思っております。

中井:私も技術的には、特に大きな相違はないと感じました。あと、おっしゃったように、最初からパーフェクトではなく、やれるところからやろう、と。確かに幾つかの点で制度なんか順次かえていっているような感じがありますよね。
○欧州から学ぶべきもの
清家:やはり、リサイクルをはじめたのが、明らかにヨーロッパの方が5〜10年進んでいる分野が多いですから、もうすでにいろいろ上手くいったところといかなかったことが判り始めている。それに対してある程度組織を変えたり制度を変えたりということを、もう既にやり始めている。つまり、もうヨーロッパのリサイクルというのは、我々よりちょっと先に行っているものですから、その次の段階に我々がヨーロッパの事例の中で、何を見るべきかと言いますと、日本でもいろいろと同じようなトラブルが起きていて、それをこう修正するといいんじゃないか、と彼らを観察した方が、日本のためになるのではないでしょうか。何も先人が失敗した例を同じようにやるのではなくて、我々が同じようにやっても失敗するかもしれないし、しないかもしれないですが、やはり相手が苦労しているところを正確に把握して、日本なりにスタートしたら、一体どういうことが難しく、どういうことが簡単にできるかということを先にやってる国から学んでおこうというスタンスが大事ですね。
 
文責:横浜国立大学 講師 志村真紀
 
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