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ガラスのはじまり、ほんとは 3.今から4000年ぐらい前、フェニキアの商人が今のイスラエルを流れる川のほとりで食事のしたくをしていた。かまど用の石が見つからなかったので積み荷の天然ソーダのかたまりを使ったところ、熱で砂ととけ合い、ガラスが流れ出した。
現在、多くの研究者がみとめているもっとも古いガラスは今から4千年以上前につくられたものであると考えられています。しかし、もっと古いガラスがあると考えている研究者もいるようで、はっきりしたことはわかっていません。世界で最初にガラスがつくられたところも、現在ではメソポタミア説が有力ですが、エジプト説をとなえる人との間で長い間論争が続けられてきました。
ガラスはぐうぜんに発見されたと考えられています。しかしたき火の熱だけで砂がとけることはないので2はまちがいです。3.のように砂と天然ソーダがぐうぜんまざりあうことにより、たき火ぐらいの温度でとけることができたのです。3.は古代ローマの博物学者プリニウス<西暦(せいれき)23年頃〜79年>による世界最初の百科事典のなかの一節です。
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板ガラスの説明でもっと古いのは 3.ベスビオ火山の爆発(ばくはつ)でほろんだポンペイの遺跡(いせき)には、大浴場の天窓に窓ガラスのあとが残っている。
さまざまな文明が平らな板ガラスをつくるために大変な努力を重ねてきました。古代ローマの都市ポンペイがほろんだのは西暦(せいれき)79年。この頃すでに窓ガラスがつくられていたということは、ポンペイがいかにすぐれた文明であったのかをあらわしています。
1. → 17世紀のフランスで行われていた板ガラスのつくり方。手間がかかる分、おそろしく高価だった。
2. → 中世ヨーロッパの15世紀頃までのお話し。
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ガラスをつくるためのある重大な発見のキッカケとなったものとは 1.鉄パイプ
紀元前30年、アントニウスとクレオパトラが自殺し、新しいローマ帝国の時代が始まりました。ちょうどその頃、シリアでは一本の鉄パイプが、それまでのガラスの歴史を大きく変えるような大革命をおこしていました。
鉄パイプの先にとけたガラスを水あめのようにまきとって丸くととのえ、風船のようにふくらます吹きガラスの技法が発明されたのです。それまで、とても時間と手間のかかったガラス容器が、大きさや形も自由に、速いスピードで量産できるようになりました。
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日本にはじめて西洋のがガラスをつたえたのは 2.フランシスコ・ザビエル
1543年、ポルトガル船が種子島に流れつき、日本に初めててっぽうが伝わりました。以後、ポルトガルからさまざまな文化が日本にもたらされることになります。
1549年にはイエズス会のフランシスコ・ザビエルが、ガラス器やめがね、鏡などをたずさえてキリスト教の布教のために来日しました。その後も、ポルトガルの宣教師(せんきょうし)たちが、織田信長(おだのぶなが)や将軍足利義昭(しょうぐん あしかがよしあき)などに高価なガラスをおくっています。
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ギヤマン草は 3.クローバー
17世紀に入るとポルトガルに続いてオランダが、日本との貿易を始めました。オランダのガラス製品が割れないようにつめられていたのがシロツメグサ(クローバー)です。
江戸幕府(ばくふ)は1635年に鎖国令(さこくれい)を出し、布教を目的としていなかったオランダだけに長崎の出島で貿易を行うことをみとめました。中国ともやはり長崎で貿易を続けていました。というわけで長崎では最初にポルトガル、やがてオランダ、中国から技術を学び、さまざまなガラスがさかんにつくられるようになります。
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エジソンが発明したものは 3.電球
電球はエジソン(アメリカ 1847〜1931)の発明です。最初はフィラメントの材料として、長時間発光させても燃えない日本の竹が使われていたそうです。
望遠鏡やけんび鏡も、ガラスがレンズになることを発見したからこそ発明されたといえます。望遠鏡やけんび鏡のおかげで、それまで見ることのできなかった遠くの宇宙や、とても小さなバクテリアなどのミクロの世界があきらかにされたのです。また、あかりが遠くへとどくように灯台にもレンズが使われています。
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